母の最後

25日、まずは自宅から車で約20分のところにある個人病院に向かった。ここは主治医から紹介されホルモン治療の時代にお世話になったところ。他の患者さんを差し置いてすぐに診てくれた。このときは母もまだ話したり笑ったりできていたが、先生から「通院している病院へ緊急入院をしたほうがいい。病院で看取るか自宅で看取るかすぐ決めてください」と言われるほど状況は悪かったようだ。父と相談し入院の手続きをしてもらい、そこからいつも通院している病院までは救急車で向かった。
病院についてすぐ血液検査があった。まもなく主治医が来て「肝臓や肺もそうですが、腎臓がまったく機能していません。今日明日と思われますので、会わせたい人がいたら連絡してください。」と。さらに最後の時に人工呼吸器等の処置をするかどうかについて聞かれた。一応父とも相談し、最後は自然に任せてほしいと頼んだ。
すでに母は息も荒く、ほとんど会話できない状態だった。こんなに急に悪化するのか、と不思議なくらいだった。実際、父は家に帰ってまた明日来るなどとのんきな事を言ってたくらいだから。
父と妹は、最初の病院に置いてある車を自宅に戻し、自宅の戸締まりやら入院の準備やらをし、今晩の食事の調達をしてくれた(地震の影響で、病院の売店には食料はまったくなく、どこの店にも食料が非常に少ない状況だった)。私は母と一緒に病院にいて、母の兄弟に連絡を取ったりしていた。ずっと一緒にいたのに、母との会話は全くなかった、というより母はもうすでに何も話せなくなっていた。

日も暮れ親類を一端自宅に戻した。母のそばに父と妹と3人で座り、退院したら近くの温泉で豪華な食事会をしよう、父の退院祝いと母の誕生日(20日)もかねてね、という話をした。普段はケチで外出嫌いな父が「母さんこんなに頑張ってるんだから、元気になったら母さんの好きなカニを食べにいこう。」といい出し3人で大笑いした。そのとき何だか母が息をしてないように感じ、そばにいた看護師さんに伝えた。すぐ主治医が来てくれ確認。7時35分だった。